ルカによる福音書 3:16. そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く______。 ヨハネによる福音書 3:30 彼は必ず栄え、わたしは衰える。
答え: ____________________
注: 霊に満ちた洗礼者ヨハネの人生は、並外れた謙遜を特徴としています。ヨハネの力強い働きと、自分自身を主にささげ尽くしていたこととの間には、直接的なつながりがありました。人々を自分にではなく、イエスに振り向かせることが、ヨハネにとって最高の喜びでした。ヨハネが行ったあらゆることは、神のみ名に栄光を帰すために意図されていたのです。
ヨハネによる福音書 1:23. 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の_』である」。
注: はい。ヨハネがしっかり聖書を理解していた証拠として、彼は旧約聖書から聖句を引用しました。聖書には、ヨハネが弟子たちに断食と祈りをよくするように教えていた(マタイ 9:14)、と記されています。このことも、ヨハネがいかに主を愛していたかを証ししています。同様に、わたしたちも個人的礼拝と聖書研究によって、神を深く知り、愛し、聖霊を受けることができるのです。
ヨハネによる福音書 1:29. その翌日、___はイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
注: ヨハネは孤高の人でした(ルカ 1:80)。しかし、あざけりや死をも覚悟で、世の救い主としてのイエスに、人々を振り向かせようとしました。これと同じように、真に主を愛する者は、不安や都合を顧ないでイエスのために証しをします。
ルカによる福音書 7:30. しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを____。 ルカによる福音書 3:19,20 ところが領主ヘロデは、……ヨハネから非難されていたので、 彼を獄に閉じ込め(た)。
注: ヨハネは、宗教指導者たちでさえ行っていた当時の一般的な罪も、大胆に非難しました。終わりの日の悔い改めと清めに関するメッセージも、尊敬されている政治家や宗教指導者の多くには人気がありませんでしたが、それは聖書的なものだったのです。
テモテヘの第一の手紙 2:9. また、女は[そして男も]_____身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。 ペテロの第一の手紙 3:3,4 あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。 イザヤ書 3:18-21、23 その日、主は彼らの美しい装身具と服装すなわち、くるぶし輪、髪ひも、月形の飾り、耳輪、腕輪、、顔おおい、頭飾り、すね飾り、飾り帯、香箱、守り袋、指輪、……などを取り除かれる。
注: はい。洗礼者ヨハネは、クリスチャンが見習うべき質素で地味な服装をしていました。今日、一般にはやっているセクシーな流行やファッションは、多くの誘惑と罪を助長しています。神はわたしたちに、ぼろ服を着せようとしておられるのではありません。しかし、極端に高価な服、けばけばしい服、派手な服などは、クリスチャンの服装に適っていません。世間では、宝石類を身につけることが広く受け入れられていますが、聖書の中ではそうすることに否定的なイメージがあるのです。イザヤ 3:18-23に出てくる装飾品の中には、あなたのわからない物もあるかもしれませんが、世界の別の場所に住む人にはわかります。こういった異教の装飾品は、少しずつわたしたちの生活に溶け込んできています。
ルカによる福音書 1:15. 彼は主のみまえに大いなる者となり、____や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされて(いる)。
注: クリスチャンは常に頭をはっきりさせ、神の霊の声を聞けるように、発酵した飲み物をすべて避けなければいけません(箴言 23:31,32;ハバクク 2:15;ペテロ第一 5:8)。
士師記 13:7. しかしその人はわたしに『あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて___ものを食べてはなりません。その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです』と申しました」。 コリント人への第一の手紙 6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
注: わたしたちの食べ物や飲み物と、精神的な明晰さ、誘惑に対する抵抗力、善悪を見分ける力との間には、直接的なつながりがあります。食べるにしろ、飲むにしろ、クリスチャンは何をするにしても、すべて神の栄光のためにするのです(コリント第一 10:31)。
ヤコブの手紙 4:4. 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への__であることを、知らないか。 コリント人への第二の手紙 6:17 だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。 ヨハネの第一の手紙 2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。 ローマ人への手紙 12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
注: 主は、人々をイエスの再臨に備えさせるために、現代のご自分の民が模範的な生活を送るように求めておられます。
ピリピ人への手紙 4:8. 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて__なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。 詩篇 101:3 わたしは目の前に卑しい事を置きません。
注: 洗礼者ヨハネは人々に、あらゆる暴力を慎むように命じました(ルカ 3;14)。現代では、娯楽として暴力を見ることも含まれるでしょう。イエスは、情欲と暴力は思いと態度から生まれる、と教えられました(マタイ 5:22,28)。ですからクリスチャンは、汚れた思いを助長するようなテレビ番組やビデオや読み物を避けなければいけません。
詩篇 40:3. 主は新しい_をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。 サムエル記上 16:23 神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。
注: この世ではやっているほとんどの音楽は、霊的に良くありません。それどころか、天のものを求める気持ち破壊し、下品な性質を強めます。しかし、音楽は良い面でも大きな力を持っています。サウル王が悪霊に悩まされていたとき、ダビデの琴が奏でる心地よい音楽はサウルの気分をすっきりさせ、悪霊の影響を遠ざけました。
ヨハネの第一の手紙 2:6. 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も____である。 テトスヘの手紙 2;12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し(ています)。
注: 人気のある現代のダンスは、世俗的な曲と結びついていて、しかも性的な強調を伴うものがほとんどです。どんなときにも、「イエス様ならどうなさるだろうか?」と、わたしたちは考えなければなりません。救い主が理性をお捨てになり、シンコペーションのリズムに合わせて体や手足を揺らすことはなさらないでしょう。
テモテヘの第一の手紙 6:10. 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの__をもって自分自身を刺しとおした。 テサロニケ人への第二の手紙 3:10 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 箴言 28:22 欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。
注: 賭け事は麻薬のように病み付きになることがあります。中には、家庭の貯金を全部カジノや宝くじで浪費してしまった人もいます。ほとんどの手っ取り早い金儲けは、過度の危険と不当な代価と不道徳を伴います。
ヨハネの第一の手紙 3:22. わたしたちが神の戒めを__、みこころにかなうことを、行っているからである。 伝道の書 12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
注: 自分勝手に生きながら、最終的に神の国に入るなどということはできません。イエスは聖なる生き方のお手本をわたしたちに示してくださいましたが、それがこの世に来られた理由の1つなのです(ペトロ第一 2:21)。
ヨハネによる福音書 14:15. もしあなたがたがわたしを___ならば、わたしのいましめを守るべきである。 ヨハネの第一の手紙 5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。 詩篇 40:8 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。
ペテロの第一の手紙 2:9. しかし、あなたがたは、____種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。
注: イエスの大使として、クリスチャンは高い基準を保たなければいけません。洗礼者ヨハネはイエスの初臨のために人々を用意させる手助けをしました。神は、現代のご自分の民が聖なる生活を送り、イエスの再臨のために人々を用意させる手助けをするよう、求めておられます。
Supplemental Study
キリストの大使クリスチャンになると、人はより良い王国の大使となります。聖書には、「わたしたちはキリストの使者なのである」(コリント第二 5:20)と書いてあります。辞書によると、大使とは「通常は一定期間、一国の政府、または君主によって駐在の代表者として任命され、他国へ派遣される最高位の外交官」と定義されています。大使は政治の領域で重要なように、霊的な領域でも重要です。天の王国の国民は、この世の国民とは異なります。わたしたちは、イエスがだれであり、どんなお方なのかを行動で示すために、この世に派遣されたのです。聖霊を通して、わたしたちは話し方から働き方、食べ方、服の着方に至るまで、あらゆることにおいてイエスのイメージを反映する主の代表者となるのです。つまり、わたしたちは神の霊の王国の一員となったときから、わたしたちが代表する政府の生きた実物宣伝とならなければいけません。コリント第二 3:18には、「わたしたちはみな……栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」と記されています。わたしたち教会員は、今日のこの世にあって、イエスの手足、目、口、そして耳です。わたしたちはキリストの体なのです(エペソ 1:22,23;5:29,30;コロサイ 1:18)。イエスは昇天される前に、「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」(ヨハネ 20:21)と言われました。生活のあらゆる面で、イエスを反映しなければなりません。「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ 5:16)。