ペテロの第二の手紙 2:6. また、___とゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし。
答え: ____________________
注: 神はこの2つの町を、罪人を滅ぼす地獄の火と同じ永遠の火で滅ぼされました。
ヨハネによる福音書 12:48. わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、、____にその人をさばくであろう。 ペテロの第二の手紙 2:9,10 主は……不義な者どもを……罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。 マタイによる福音書 13:40-42 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。……不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。
注: 上記の聖句によって聖書は、罪人が火の中に投げ込まれるのは、彼らが死んだときではなく、世の終わりの裁きの日であることを明らかにしています。ということは、今はだれも地獄にいないということです。自分の申し立てが裁かれた後で罰を受けるのが、公平というものです。人が報いや罰を受けるのは再臨のときであって、それ以前ではありません(黙示録 22:12)。
ヨハネによる福音書 5:28, 29. このことを驚くには及ばない。_の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、……悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。 ヨブ記 21:30,32 災の日に悪人は免れ、…… 彼はかかれて墓墓に行き、塚の上で見張りされ……。
注: 聖書は、死んだ罪人が世の終わりの復活のときまで墓にいることを保証しています。彼らはイエスの呼び声を聞いて、地獄からではなく、墓から出てくるのです。
ローマ人への手紙 6:23. 罪の支払う報酬は_である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
注: 罪の罰は、地獄での永遠の命ではなく、正反対のもの、つまり死です。わたしたちは第一の死で皆死にます(ヘブル 9:27)が、聖書は、罪人が地獄で第二の死で死ぬと言っています(黙示録 21:8)。すべての人は、報いや罰を受けるために第一の死から復活しますが、第二の死からの復活はありません。これが最後です。その上、もし罪に対する罰が地獄の火での永遠の苦痛だとすれば、イエスは罪の罰を受けておられなかったことになります。
ヨハネによる福音書 3:16. それは御子を信じる者がひとりも__ないで、永遠の命を得るためである。
注: 辺獄(地獄の辺土)や煉獄などの概念は、聖書の中に見いだされません。聖書は2つの選択しか教えていません。永遠の命か、永遠の死です(申命記 30:15)。
詩篇 37:10, 20. 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。……悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、煙のように_____。 マラキ書 4:1,3 万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。……あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになる。
注: 罪人は地獄で、煙となって焼き尽くされます。ただ灰だけが残ります。
ヨハネの黙示録 20:9. 彼らは__の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。 ペテロの第二の手紙 3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
注: 地獄の火は、地球そのものが燃えるので、地上にあります。
ヨハネの黙示録 20:10. そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に______。
注: いいえ、悪魔は地獄の火を監督するどころか、火の中に投げ込まれてしまうのです。ついに悪魔は「地の上の灰」となり、神はサタンに、「あなたは……永遠にうせはてる」(エゼキエル 28:18,19)と仰せになります。
イザヤ書 47:14. その火は身を暖める__ではない、またその前にすわるべき火でもない。
注: 罪と罪人と地上のすべてを焼き尽くした後、火は消えます。時代を超えて燃え続けるわけではありません。永遠の地獄の苦痛は、罪に終わりをもたらしません。神のご計画は罪を切り離し、滅ぼしてしまうことであって、罪を永続させることではありません。黙示録 21:5には、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」とあります。
マタイによる福音書 10:28. からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、______地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
注: 多くの人は、魂は死なない、と思っていますが、神は二度も「罪を犯した魂は必ず死ぬ」(エゼキエル 18:4,20)と言われました。聖書によると、罪人は地獄の火で魂も体も両方とも滅ぼされます。
マタイによる福音書 25:41. 「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、__とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。」
注: 火の目的は、サタンと悪天使たちと罪を滅ぼすことです。もし疫病のような罪から離れることを拒むなら、わたしも罪と一緒に滅ぼされてしまいます。なぜなら、もし罪が滅ぼされなければ、再び世界中に広がってしまうからです。
イザヤ書 28:21. 主は……憤られて、その行いをなされる。その行いは類のないものである。またそのわざをなされる。そのわざは______である。
注: 神は愛する者たちを滅ぼすという思いに耐えられません。「主は……ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み……ながく忍耐しておられるのである」(ペテロ第二 3:9)。神はたえず、「あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか」(エゼキエル 33:11)と言っておられます。人を滅ぼすということは神の道からかけ離れているので、地獄の火は「異なったもの」と呼ばれています。神は人を救おうと切に願って全力を尽くしておられます。すべての罪人は滅ぼされる前に、神がいかに公平であられたかを認めます(ローマ 14:11)。
マタイによる福音書 3:12. また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で__ 捨てるであろう。
注: そうです。消えることのない火は鎮めることができません。しかし、すべてを焼き尽くしてしまうと、もう燃えるものがないので消えます。たとえばエレミヤ 17:27では、もし神の民が忠実でなければ、神はエルサレムの門に火を放ち、その火は「消えることがない」とあります。そして聖書は、この預言がすでに成就したと明言しています。「神の宮を焼き、エルサレムの城壁をくずし、そのうちの宮殿をことごとく火で焼き、…… これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった」(歴代志下 36:19,21)。この火はすべてを焼き尽くすまで消えず、そのあとに消えました。聖書で「消えることがない」と呼ばれている火は、今はもう燃えていません。
ユダの手紙 1:7. ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、……__の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。
注: 聖句は聖句によって理解しなければいけません。この聖句から、ソドムとゴモラは見せしめのために永遠の火で焼かれたことがわかりますが、現在、これらの町はもう燃えていません。これらの町は、永遠の火がするとおりに、灰になりました(ペテロ第二 2:6)。しかし、その影響は永遠です。(Supplemental Studyの「金持ちとラザロ」参照)
ヨナ書 2:6. わたしは地に下り、地の貫の木は___わたしの上にあった。
注: いいえ、違います。ヨナは巨大な魚の腹の中に三日三晩いましたが(ヨナ 1:17)、彼はそれを「いつも」と言いました。もちろん、ヨナにとってそれは永久に感じられたのでしょう。黙示録 20:10で「世々限りなく」と訳されている元のギリシヤ語は「アイオーン」(時間の単位で、10億年のこと)です。この言葉は、終わりがあるにしても、ないにしても、不特定の期間を表すときによく使われます。「世々限りなく=永遠(英語でforever)」という言葉は、聖書の中で56回も、すでに終わってしまったことに言及する際に使われています。例えばある箇所で、「いつまでも(英語で forever)」は忠実な奴隷の生涯を意味し(出エジプト記21:6)、他の箇所では「十代」を意味しています(申命記23:3)。また、人に関して用いられるときには、しばしば「いつまでも」「生涯」(サムエル記上 1:22,28)という意味を持ちます。
ペテロの第二の手紙 3:13. しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい_とを待ち望んでいる。 ヨハネの黙示録 21:4 [神は]彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。
注: 清められた世界の灰の上に、神は新しい天と新しい地を創られます。神は、永遠に生きる者たちすべてに対して、喜び、平和、そして言い表せないほどの幸福を約束しておられます。
ナホム書 1:9. 彼はその敵に二度としかえしをする必要がないように敵を_______。
注: いいえ、この約束は確かです。罪は二度と起こりません。イザヤ 65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。
ヨブ記 4:17. 人は神の前に___ありえようか。
注: もし自分の息子が無情な人殺しになったら、罰を受けるのは当たり前だと、あなたは考えますか?おそらくそう考えるでしょう。でも、一昼夜にわたって、生きたまま火に焼かれる拷問の苦しみを受けてほしい、と思うでしょうか?おそらく、そうは思わないはずです。親としてそれは耐え難いことです。愛情深い主も同様に、ご自分の子供たちが拷問の苦しみを味わうことに耐えられません。それは、あらゆる戦争の残虐行為の中で最悪のものよりも悪質です。神はそのようなお方でしょうか?そんなことは決してありません。永遠の地獄の拷問など、神には耐えられませんし、それは愛と正義のご品性とは正反対のものです。
Supplemental Study
金持ちとラザロ多くの人たちが、金持ちとラザロのたとえ話を用いて、人間は死ぬとすぐに天国か地獄へ行くのだということを、証明しようとしてきました。しかし、イエスがこの話を用いられたのは、そのような意図からではありません。イエスが使われた「陰府」という言葉の原語は「ハデス」で、「ハデス」とはギリシヤ神話の中で拷問を受ける場所のことなの です。この話を聞いていたユダヤ人たちは皆、イエスが有名な神話を用いて要点を説明しておられるのだ、と理解したことでしょう。ルカ 16:19-31をよく読んでみると、このたとえはたくさんの象徴に満ちていて、文字どおりに取るわけにはいかないことがわかります。たとえば、救われた人は皆、アブラハムのふところに行くのでしょうか? 行ったりしません。天国にいる人と地獄にいる人は、会話を交わすのでしょうか? 交わしたりしません。指先の水のしずくが、地獄で焼かれている人の舌を冷やすことができるでしょうか? できやしません。アブラハムは、だれが救われ、だれが滅びるかを決定するのでしょうか? 決定したりしません。同じように、このたとえを使って、世の終わりの裁きの日の前に死んだ人たちが、すぐに天国へ行ったり、地獄へ行ったりすると教えることはできません。ヨハネ 12:48は、「わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」と断言しています。それでは、このたとえは何を意味しているのでしょうか。金持ちとは、聖書を大いに味わってきたユダヤ民族の象徴であり、門前のこじきが象徴する異邦人は、神のみ言葉に飢えていました。イエスは、「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」(ルカ 16:31)という言葉でこの話を結んでおられます。後にイエスはラザロという名の人を死から復活させられましたが、確かにほとんどのユダヤ人指導者は信じませんでした(ヨハネ 12:9-11)。