列王紀上 22:22. 彼は『わたしが出て行って、______となって、すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。 ヨハネの黙示録 16:14 これらは、しるしを行う悪霊 の霊 であって……。
答え: ____________________
ヨブ記 14:21. 彼の子らは尊くなっても、彼はそれを____、卑しくなっても、それを悟らない。 伝道の書 9:5,6,10 しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。 ……あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
注: いいえ。聖書の見解は明らかです。死者は何もせず、地上で起こっていることを何も知りません。詩篇 115:17 死んだ者も、音なき所に下る者も、主をほめたたえることはない。詩篇 6:5陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか。ヨブ記 7:10 彼は再びその家に帰らず。イザヤ 38:18 陰府は、あなたに感謝することはできない。。詩篇 146:4 その日には彼のもろもろの計画は滅びる。
ヨハネの黙示録 1:17, 18. わたしは初めであり、終りであり、 また、______である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。
注: 聖書の見解は明らかです。イエスだけが死の鍵を持っておられます。死についての疑問に対する答えは、主のみ言葉の中に求めなければなりません。
創世記 2:7. 主なる神は土の__で人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
注: 人間が創造された際に、2つのことが起こりました。(1)神はちり、つまり土から人を形作り、(2)その鼻に命の息を吹き入れられました。こうして人は生きる者となったのです。
伝道の書 12:7. ちりは、もとのように土に帰り、_はこれを授けた神に帰る。
注: 人が死ぬ際に起きることは、人が創造された際に起きたことの逆です。体は塵に戻り、霊、つまり息は、与えてくださった神に帰ります。聖書は、神に帰る「霊」とは、神が初めに人に吹き入れられた「命の息」である、とはっきり教えています(ヤコブ 2:26「 霊魂」の元語は「息」「霊」、ヨブ記 27:3;33:4)。詩篇 104:29,30には、「あなたが彼らの息を取り去られると、彼らは死んでちりに帰る。あなたが霊を送られると、彼らは造られる。」とあります。
ヨブ記 21:32. 彼はかかれて_に行き、塚の上で見張りされ。 ヨハネによる福音書 5:28,29 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
注: 死者は義人も悪人も墓の中にいて、イエスが呼ばれる声を聞くとき、報いや罰を受けるために墓から出てきます。
使徒行伝 2:34. ダビデが天に________。 使徒行伝 2:29 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
注: いいえ。使徒ペテロは、ダビデは死んで葬られ、天で生き続けていない、とはっきり言いました。ヘブル 11:32-40は、各時代の忠実な者たちは、まだ報いを与えられておらず、皆が一緒に与えられることを明らかにしています(39,40節)。
エゼキエル書 18:4. 罪を犯した魂必ず__。 テモテヘの第一の手紙 6:15:16 もろもろの王の王、もろもろの主の主……神はただひとり不死を保ち。
注: わたしたちは魂であり、魂は必ず死にます。人は不死ではありません。ただひとり神だけが不死です。よく言われている不死の魂の教えは、聖書に基づいていません。その教えは人が考え出したものです。
コリント人への第一の手紙 15:51-53. わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りの___の響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。……この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。 テサロニケ人への第一の手紙 4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ 人々が、まず最初によみがえり(ます)。
注: そうです。義人たちは復活のときに不死を与えられるのです。悪人たちに不死が与えられることは、決してありません。
ヨハネによる福音書 11:11, 14. 「わたしたちの友ラザロが_____。……ラザロは死んだのだ。」 マタイによる福音書 27:52 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。 サムエル記下 7:12 あなたが日が満ちて、先祖たちと共に 眠る時……。 テサロニケ人への第一の手紙 4:14 神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
注: 聖書は「死」を「眠り」とよく言います。死はまったくの無意識の状態で、15分でも1000年でも同じように感じます。死者はイエスに起こされるまで墓で眠っているのです。死者の霊が天使になっているとか、守護霊になって話し合うことができるとかいう説は、聖書に基づいていません。
ヨハネの黙示録 16:14. これらは、___を行う悪霊の霊であっ(た)。
注: 天の天使たちは、地上の人間を助ける「仕える霊」(ヘブル 1:14)と呼ばれています。サタンと共に天から落とされた天使たちも(黙示録 12:7-9)霊であって、人々を惑わすしるしを行う悪霊なのです(黙示録 16:13,14)。彼らは「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と」を行い(テサロニケ第二 2:9)、「人々の前で火を天から地に降らせることさえ」できます(黙示録 13:13)。霊媒が死者と通じていると言うとき、実際にはサタンの堕落した天使たちと通じているのです。
マタイによる福音書 24:24, 25. にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも____とするであろう。
注: 人類に対するサタンの最初の惑わしは、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう」(創世記 3:4)でした。サタンは、死者の霊は死んでいない、と人々に信じ込ませたいと思っています。そうなれば、彼の仲間の天使たちが死んでしまった聖人や預言者、義人のリーダーたちを装ったり、「光の天使」(コリント第二 11:13-15)を装ったりすることができるからです。こうして何百万人もの人が惑わされます。このような悪霊を利用するのが「心霊術」です。心霊術は2つの思い込みに基づいています。(1)死者は生きている、(2)死者はあなたと接触できる。これはもっとも有害なサタンの教えです。しかし今では、ほとんど全世界の人々がそれを信じています。エンドルの口寄せはサムエルを呼んだのではありません。彼女はサムエルを装っている悪天使を見たのです。
ヨハネの黙示録 18:23. ___の国民はおまえのまじないでだまされ(た)。 ヨハネの黙示録 18:2 「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつとなった。」 ヨハネの黙示録 12:9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへび。
注: サタンがその悪天使を通して行うしるし(魔術)で世界中ほとんどの人が惑わされます。
レビ記 20:27. 男または女で、口寄せ、または______は、必ず殺されなければならない。 テモテヘの第一の手紙 4:1 ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。 エペソ人への手紙 5:11 実を結ばないやみのわざに加わらないで……。 ガラテヤ人への手紙 5:19-21 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。 ヨハネの黙示録 21:8 まじないをする者……には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。
注: モーセの時代、神はすべての心霊術者を死刑にするよう、お命じになりました。今日でも、魔術は肉の業であり、それによって人々が滅んでしまう、と力説しておられます。神は、人が心霊現象に道楽半分で手を出すと信仰から離れてしまう、と警告なさると共に、魔術を使う者は全員、火の池で(第二の死を)死ぬことになる、とおっしゃっています。
ピリピ人への手紙 3:10. すなわち、キリストとその__の力とを知り……。
注: イエスは、ご自分が死から復活されたのと同じ生きる力をわたしたちにくださいます。すばらしいことです。そのようなすごい力を、しかもただで与えてくださるのですから、わたしたちは失敗することがありません。わたしたちを愛するがゆえに、イエスは悪天使たちの力としるしから離れるよう、厳粛に警告なさると共に、神の王国にわたしたちを備えさせるのに必要な聖なる奇跡を行うよう、提案しておられます(ピリピ 1:6)。
Supplemental Study
十字架の強盗「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ 23:43)と、イエスが十字架の強盗に言われたとき、すぐに天へ行けることを約束されたのでしょうか?ここでイエスがおっしゃったことの意味は、「イエスご自身はその日のうちに天へ行かれたのか」という1つの重要な質問に対する聖書の答えでわかります。聖書によると、そうではありません。復活された日、墓の外でマリヤに会われたときのイエスのお言葉は、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから」(ヨハネ 20:17)というものでした。イエスが日曜日にまだ父のところへ上っておられなかったのなら、2日前の金曜日に楽園に行かれたはずがありません。では、なぜイエスは、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」とおっしゃったのでしょうか?この見かけ上の問題は、原典のギリシヤ語の写本に句読点がなかったことを知れば、霧消します。点や丸は、翻訳者たちが自分の考えで、聖書の本文に挿入したものなのです。ですから、まさかとお思いでしょうが、たった1つの点が文全体の意味を変えることがあるのです! ルカ 23:43は、「きょう、言っておくが、あなたはわたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と訳されるべきでした。イエスが本当におっしゃったのは、こういうことなのです。すべてが失われたように見える今日、主のようにも王のようにも見えない今日、弟子たちでさえ逃げてしまった今日、両手が十字架に釘付けにされている今日だけれど、わたしはあなたを救うことができるのだよ、と。いつの日か、この強盗もイエスを受け入れた人々と一緒に復活し、パラダイスでイエスと共に住むのです。聖書に出てくる「霊」「息」という言葉は、何を意味しているのですか?ヨブ記 27:3でヨブは、自分が生きている限りという意味で、「わたしの息がわたしのうちにあり、神の息がわたしの鼻にある間」と言っています。この息は、神が「命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」(創世記 2:7)息だということを思い出してください。伝道の書 12:7で、その「息」が「霊」と同じものだということがわかります。ですから、人が死んだときに神のもとへ帰る霊とは、「命の息」であり、肉体から分離した霊魂ではありません。聖書には、死の際に霊魂が神に帰るなどと、書かれていません。人が死ぬとき、「魂」はどこへ行くのですか?天地創造のとき、2つのもの――体と息――が結びついて魂になりました。この2つが結びつくまで、魂は存在しません。死ぬと、この2つの要素が分かれます。体は塵に帰り、息は神に帰ります。魂はどこにも行きません。ただ存在しなくなるだけです。