ヨハネによる福音書 14:2. わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、__を用意しに行くのだから。
答え: ____________________
イザヤ書 65:17. 見よ、わたしは___天と、新しい地とを創造する。 ヘブル人への手紙 11:16 神は彼らのために、都を用意されていたのである。 マタイによる福音書 5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 イザヤ書 65:21 彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
注: 驚くべきことです! 神はご自分の民のために、新しい天と新しい地と新しい聖なる都を用意しておられるのです。義人たちは、イエスが建てられた都のすばらしい住居を受け取る(ヨハネ 14:2)と共に、自分で楽しい田舎の別荘を建てて持つこともできます(イザヤ 65:21)。
ヨハネの黙示録 21:16. 都は__であって、その長さと幅とは同じである。彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。長さと幅と高さとは、いずれも同じである。 ヨハネの黙示録 21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 ヨハネの黙示録 21:10,12 この御使は……聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。……それには大きな、高い城壁があって、十二の門が……あった。 ヨハネの黙示録 21:18 城壁は碧玉で築かれ(ていた)。 ヨハネの黙示録 21:21 都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。
注: 聖なる都は四角形で、その周りは1万2000スタディオン(約2220km。1スタディオンは約185m)あります。この都は天から新しい地に降ってきて、現在のオリ-ブ山のある場所に着地します(ゼカリヤ 14:4)。「十二の門」はそれぞれ1つの真珠でできていて(黙示録 21:21)、碧玉の城壁は144ぺキス(約65m。1ペキスは約45cm)の高さ(あるいは、厚さ)です(同 21:17)。
ヨハネの黙示録 22:1. 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の_をわたしに見せてくれた。 ヨハネの黙示録 22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
注: 無尽蔵の清い水が川となって神の玉座から流れ出し、命の木は毎月異なる実を結びます。この木のすばらしい実と葉は死の解毒剤で、永遠の命を永続させます。その上、神の聖人たちは田舎で自分の食べ物を育てるのです(イザヤ 65:21)。神の民の常食は、罪が世に入る前のもの――果物、穀物、ナッツなど(創世記 1:29,31)――に戻るでしょう。その味は口に表せないほどおいしく、栄養は満点です。
イザヤ書 35:5. その時、___の目は開(く)。 イザヤ書 35:5 耳しいの耳はあけられる。 イザヤ書 35:6 その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。 イザヤ書 65:25 [ おおかみやししやへびは]そこなうことなく、やぶることはない。 イザヤ書 11:6 おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべ導かれ(る)。 イザヤ書 35:1 さばくは喜びて花咲き。 イザヤ書 33:24 そこに住む者のうちには、「わたしは病気だ」と言う者はな(い)。 ヨハネの黙示録 21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
ピリピ人への手紙 3:20, 21. 彼(キリスト)は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の__のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。
ルカによる福音書 24:39. わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には_や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。
注: 復活した後のイエスの体は、肉と骨があって触ることのできる体でした。弟子たちは、イエスが突然現れたときに亡霊だと思いましたが、イエスに触れ、食べ物を食べられる姿を見て(ルカ 24:40-43)、イエスが実体であられることを知りました。40日後、イエスは彼らをベタニアまで連れて行き、天に昇られました(ルカ 24:50-51)。弟子たちに現れた天使は、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で[肉と骨をもって]、またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11)と告げました。イエスが肉体をお持ちになったときから、彼は神性を持ちながらも、人類と永遠につながられたのです。
使徒行伝 3:20, 21. キリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。 このイエスは……万物__の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。
注: 神をたたえましょう。神の新しい王国では、罪によって失われたあらゆる良いものが復元されます。すべての人は真に愛し合い、信頼し合い、助け合います。その結果、暴虐も(イザヤ 60:18)、裏切りも、虐待も、不誠実も、不正直も、陰口も、不安も、意気消沈も、危険も、失望も、悲嘆もなくなります。楽しくて、幸福で、満ち足りた豊かな生活が、永遠に続くのです。
イザヤ書 65:17. さきの事はおぼえられること__、心に思い起すことはない。
注: 主は、地上の悲しみが天国の聖人たちに悲しみをもたらすことはない、とここで約束しておられます。
コリント人への第一の手紙 13:12. しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に__であろう。
注: わたしたちは、外見や歩き方、しぐさや話し方などによって、お互いをはっきり見分けることができます。見分ける能力も、天ではもっと高くなります。天国はすばらしい家族の再会の場となるのです。
イザヤ書 35:10. 主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの__をいただき……。 詩篇 16:11 右の手から永遠の喜びをいただきます。 ゼカリヤ書 8:5 都の広場はわらべとおとめに溢れ/彼らは広場で笑いさざめく。 イザヤ書 40:31 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。 イザヤ書 40:31 鷲のように翼を張って上る。
注: 聖人たちは天使のように、光よりも速く飛ぶことができます。彼らはすべてを受け継ぐので(黙示録 21:7)、ほんの数秒で他の世界を訪れることもできます。聖書によると、神は他にも複数の世界をお造りになっておられ(ヨブ記 1:6、ヘブル 1:2; 11:3)、それらの世界は堕落していません。
コリント人への第一の手紙 2:9. 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の_に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
注: 現在の状態では、神がその子供たちのために用意されたすばらしいものを、あなたもわたしも想像することができません。言葉、想像力、夢――いずによっても、天での無上の喜びを思い描くことはできないのです。しかし、地上でどんなに苦しんでも、天に行けることはこの世のあらゆる試練をはるかに上回ります(ロ-マ 8:18)。
ヨハネの黙示録 21:3. 見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と____……。
注: この約束を信じ、恐れかしこみましょう。神は、新しい地でご自分の民と共に住まわれるのです。このような喜びと栄光は、何にも比べることができません。
ヨハネの黙示録 21:27. しかし、____や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。 ヨハネの黙示録 21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。
注: 罪は汚れを生じさせるので、天に入ることを許されません。もし入れば、また反逆が起こってしまうかもしれないからです。(Supplemental Studyの「神の王国」参照)
ヨハネの第一の手紙 1:9. もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちを___て下さる。
注: もしわたしが、罪を赦してください、とイエスに願うなら、イエスはわたしを赦し、罪から清め、神の子供としてくださいます。
マタイによる福音書 6:33. まず___と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
注: 「あなたに何を与えようか、求めなさい」(列王紀上 3:5)と神から尋ねられたとき、ソロモン王が行ったのは、まさにこのことでした。ソロモンが最初に考えたのは、神の国と神の義だったのです。その見返りとして、すばらしい王国という祝福が与えられました。わたしたちもまず神の国を求めると、同じことが起こります。
Supplemental Study
神の王国聖書は2つの王国――神の王国とサタンの王国――の絶え間ない対立の記録です。イエスは宣教の中心に神の王国を置かれました。新約聖書だけでも神の王国のことが100回以上書かれており、多くはイエスのたとえ話に含まれています。イエスの教えから、神の聖なる王国は2つの範疇――霊的な王国と文字どおりの王国――に分けられることがわかります。天の霊的な王国の住民は、神に自分の心の中を支配していただきます。改宗する前、わたしたちの心の玉座は、サタンと罪と自我によって占められているのです。しかし、イエスの赦しとみ力を受けると、悪の捕らわれの身から解放されます。それゆえにパウロは、「あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず……なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである」(ローマ 6:12,14)と言っているのです。「しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」(ルカ 11:20)とも記されています。人はキリストを受け入れるや否や、すぐに神の霊的な王国の住民となります。それゆえにイエスもバプテスマのヨハネも、「天国は近づいた」(マタイ 3:2;4:17)から悔い改めなさい、と人々に迫ることで自分の働きを始めたのです。「近づいた」とは、今手に入るという意味です。ですからイエスは、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ 17:20,21)とおっしゃったのです。人はバプテスマを受けるとすぐにサタンの闇の王国を離れ、神の光の王国に入るのです。キリストの真の弟子は、神の霊の王国からこの世に送られた大使です。他国からの大使は、言葉も、服装も、食べ物も、通貨も、風習も、派遣先の国のものとは異なっています。同様に、わたしたちもクリスチャンの大使として主の王国をきちんと代表するため、食べること、話すこと、着る物、そして時間やお金の使い方に、気をつけなければなりません。いつの日か神の民は、この課で学ぶ文字どおりの物質的な神の王国に入ります。この王国こそが、主の祈りの中で「御国がきますように」(マタイ 6:10)と祈り求めている国です。文字どおりの神の王国は、黙示録20章に記されている千年期後の審判と戦いの後に最終的に設立されます。